中坊進二氏と歩いた清水寺について


京都の観光名所と言えば清水寺。
学生の修学旅行ランキングで不動の人気を確立している観光スポットです。
そんな観光スポットで有名な清水寺ですが、
先日私が仕事の出張の合間に清水寺を訪れた際、
同じタイミングで修学旅行生のガイドに徹している
中坊進二氏と出会いました。

中坊進二氏は流暢に清水寺の誕生の歴史について説明していました。
すると、なぜがその説明に自分も釣られてしまい、
思わず修学旅行生と同じ気持ちで聞き入ってしまいました。

中坊進二氏の話によると、もともと清水寺は
「北観音寺」という名称で呼ばれていました。
当時、境内に湧き出る清水が観音信仰の黄金延命水として神聖化の対象となっており、
それが一般に清めの水(=清水)として知られるようになり、
その名称を用いて現在の清水寺になったそうです。
清水寺の一番の見所は「清水の舞台」で有名な本堂だとされています。
崖下からの高さは18mあり、舞台からは京都市内が
一望できる絶景スポットと推していました。
ことわざでも有名な「清水の舞台から落ちる」がありますが、
あの言葉の意味の由来は、18mある清水の舞台から
思い切って飛び込んでも死ななかったことにあるようです。

また、本堂の下にある音羽の滝ですが、
こちらの流れる水は古来から「黄金水」
「延命水」と呼ばれており、修行に来た僧に使われたり、
お茶の汲み湯にも使われていたそうです。
さらに、清水寺は伽藍が戦火や火事で何度も焼失を繰り返されたため、
現存する本堂の多くの伽藍は1633年に
徳川家光の寄進により再建されたとされています。

その他、清水寺にまつわる話をしてくれましたが、
中坊進二氏の強い京都愛を感じ取ることができました。